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2018.06.11

【恩師が語る日本代表選手♯第1回 遠藤航(浦和レッズ)】<前編>子どもが何かをする前に、あれもこれもと先に口を挟まない

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日本代表選手は、どのような少年時代を過ごしてきたのか。彼らの成長過程を、恩師の言葉によって振り返っていく。第1回は遠藤航選手(浦和レッズ)の少年時代にスポットを当てる。遠藤選手からブルーペナント*を送られた父親であり小学生時代のコーチでもある遠藤周作さんに話を伺った。

物心がついた時には、もうボールを蹴っていた。
少年・遠藤航選手の日常には、サッカーボールがあった。そして、ボールを蹴り合う相手は父親だった。

「初めて航がボールを蹴ったのは幼稚園に入る前だと思います。家から歩いて10分くらいのところに公園があって、そこは結構大きいんです。サッカーが普通にできるくらいの。そこでよくボールを蹴っていましたね」
遠藤航選手の父・遠藤周作さんもまた、サッカー少年だった。
小学校、中学校と汗を流してボールを追いかけ、高校で一旦サッカーから離れたが、大学では楽しむレベルで蹴っていた。
プロになった息子を持つ親の腕前は「中学の部活で市のトレセンに入れたくらいのレベル」だったそうだ。

そんなサッカー好きの親の元に生まれたのだから、息子もサッカーに惹かれるようになるのはいかにも自然なことだった。もっとも、周作さんは子どもがサッカーに打ち込むよう仕向けたわけでは決してない。
「サッカーも遊びの延長でしたね。公園では野球をやってみたり、バドミントンをやったこともあります。
小学校の時に、「サッカーをやる」と言ったのも本人ですし、別に私がそれを勧めたわけではないんです」

数ある遊びのなかで遠藤選手が夢中になったのがサッカー、それだけだった。小学1年生の時に「南戸塚SC」というサッカークラブに入団することになる。
そのクラブを選んだ理由もまたシンプルだ。「自分が通う小学校のサッカーチームだったから」と周作さんは笑う。

「平日は3日活動して、土日のどちらかで試合、という感じでした。学校の子どもたちを集めているチームだったので、活動拠点は学校の校庭。放課後にグラウンドに出て、すぐにサッカーができる。たぶんそれが決め手だったかもしれないですね」

学校が終わったらすぐに友達と遊ぶような感覚で、遠藤選手は南戸塚SCでの活動を楽しんでいた。
そして、クラブでの活動が休みで、周作さんにも時間があるときは公園に出かけ、親子でボールを蹴っていた。

そして、遠藤選手が小学校3年生になった頃、周作さんも南戸塚SCに加入する。
コーチとして関与するようになるのだが、これは「息子の指導がしたい」という親子鷹のような理由からではなかった。

「それまで、私はたまに試合を見に行くくらいだったんですけど、ある時、みんなコーチが辞めてしまって。
基本的に南戸塚SCはお父さんがコーチをやっています。その時、チームには航より2つか、3つ上の年代の子どもの父親が多かったのですが、子どもの卒業と同時に、コーチも辞めてしまう方がいっぱい出てしまい、残ったコーチがたった1人という状況になってしまって」

南戸塚SCは決して強豪と言われるようなクラブではない。「子どもたちがボールを蹴って楽しむことが大事」といったような考えで運営されており、大会に出て結果を求めるようなクラブではない。他の戸塚区内のチームと切磋琢磨し、子どもたちが健やかに成長するのを見守るというスタンスだ。

そのため、コーチも基本的には保護者がボランティアで務めているのだが、遠藤選手が小学校3年生になった時、たまたまコーチたちが一気に抜けてしまうという事態が発生した。

「そんな状況を見ていて、『これは私がやらないと回らないな』と思って引き受けることにしたんです。私の前に、そういう状況でコーチになった方がいたので、私は3人目でしたね」と周作さんは当時を振り返る。

結果的に、親子でサッカーに関わる時間は増えたものの、周作さんが息子に接するスタンスはそれまでとたいして変わらなかった。
周作さんは親として子どもを育てる際、「自分で考えさせる」ということを大事にしていた。子どもが何かをする前に、あれもこれもと先に口を挟まない。それは公園でボールを蹴り合う時も同じだった。

そういう方針で育てられた遠藤選手は、サッカーについても自然と自分で考える習慣が身についていく。

「私は技術的なことはあまり教えていませんでした。2人でボールを蹴るときは、私がGKをやって、航がシュートを打ってくるという感じでした。だんだんうまくなってシュートが決まるようになると、私もサッカーを知ってますからね、航にプレッシャーをかけに行ったりしていました。ただ、そこからが彼、面白くてね」

周作さんはシュートを止めた後、ボールを返す時にわざと山なりで投げた。
ボールの滞空時間をかせぎ、その間にダッシュして、遠藤少年がボールをトラップするタイミングを狙ってプレッシャーをかけたのだ。

当然、経験のないプレッシャーにさらされた遠藤少年はあっさりとボールを父親に奪われてしまう。
気を取り直して、またシュートを打とうとしても、また父親が前に出てきて、ボールを奪っていく。

「それをやると10回、20回は簡単にボールを取れるんですよ。でも、何回も繰り返していくうちに彼も学習するんです。何をしたかと言うと、トラップの瞬間に体を使って私をブロックして、遠い方の右足で止めることを始めるんです。子どもでもそういうことができるんだなと思いました」

現在に通じる遠藤選手のクレバーな一面が垣間見られるシーンだが、この話にはまだ続きがある。

「プレッシャーに対応できるようになったので、今度は彼の背後にボールを投げて返したんです。そうすると彼は後ろを向いて追いかけるので、私のことは見えない。そこでプレッシャーをかけにいくと、彼は前を向いた瞬間に私がいるのでビクッとなる(笑)。私はあっさりボールを取れるんですが、それも繰り返すとどうなったか。航はボールを追いかける時に一瞬、後ろを振り向くんです」

局面に対処しようとする前に常に首を振って周囲の状況を確認する。
それはまさに今、遠藤選手がよく見せている動きだ。常に周囲の状況に目を配らせ、冷静な判断で的確なプレーを選択するプレースタイルは小学生の頃に身に付けていた。

周作さんはさらにプレーの難易度を上げ、次は遠藤少年が首を振って状況を確認したのを見た後、プレッシャーをかけるというチャレンジをしたが、それも通用するのは最初のうちだけ。遠藤少年はボールに触る前に何度も首を振り、最後まで自分の状況を確認するようになったという。

そうやってサッカーの実力をメキメキ上げていった遠藤選手はクラブで主力となっていく。
南戸塚SCが一学年あたり10人足らずの小規模なクラブだったこと、また「全員を必ず試合に出す。それが唯一の条件」というクラブ方針も遠藤選手の成長を促した。

※「ブルーペナント(日本代表・育成指導者表彰)制度」・・・日本サッカー協会では、全国で若い選手たちのために情熱を傾けている多くの指導者の皆さんへのやりがい、モチベーションにつなげることを目的として、日本代表に初選出された選手から育成年代で指導に携わった指導者にブルーペナントと感謝状を送っています。

≫後編に続く

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