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2018.06.21

【恩師が語る日本代表選手♯第2回 柴崎岳(ヘタフェCF)】<前編>大人にも本気で挑む”じょっぱり魂” 負けず嫌いの小学生

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日本代表選手は、どのような少年時代を過ごしてきたのか。彼らの成長過程を、恩師の言葉によって振り返っていく。第2回は柴崎岳選手(ヘタフェCF)の少年時代にスポットを当てる。本州最北端の青森県から日本代表まで上り詰めた柴崎選手から、ブルーペナント*を送られた小学校時代のコーチでもある橋本正克さんに話を伺った。

青森県野辺地(のへじ)町にある野辺地中学校サッカー部のコーチを務めていた橋本正克さんは、ある日、同じ町にある野辺地サッカースポーツ少年団(SSS)の監督から相談を受けた。
「2年生にすごくボール扱いが上手い子がいるんですが、この子をどう育てればいいのでしょうか?」

橋本さんはもともと、野辺地SSSの監督を6年間務めており、それまで県大会に一度も出場できなかったチームを青森県屈指の強豪チームにまで引き上げた人物だった。しかし、橋本さんが中学のコーチになると、野辺地SSSは再び県大会に出場できなくなっていた。後を引き継いだ監督はサッカー経験があまりなく、この際立った才能を持つ子どもに正しい指導を受けさせたいと考え、橋本さんに相談したのだった。

もちろん橋本さんも協力したいと考えたが、一度もプレーを見たことのない子どもに対して、何を伝えていいか分からなかった。だから、「とにかく基本の練習を徹底してやったほうがいい」とアドバイスを送ることしかできなかった。

しかし、翌年、橋本さんはその少年のプレーを直接指導することとなる。野辺地SSSの監督が急に退任することになったため、かつて、チームを率いていた橋本さんに白羽の矢が立ったのだ。
もっとも橋本さんは、あまり乗り気ではなかった。なぜなら、橋本さんにはひとつの達成感があったからだ。
「私はのめり込んでしまうタイプなので、強くするために何をすればいいのかを常に考えていましたね。それこそ仕事に支障がでてしまうくらいに(笑)」
仕事が終わった後、平日は2時間チームを指導し、土日も練習や試合でつぶれてしまう。それでも、このチームを強くしたいという想いは揺らぐことなく、全身全霊で指導にあたっていた。

「本当に必死に取り組んでいました。厳しい指導もしたと思います。それでも子ども達は文句を言わずについてきてくれました。それまで県大会に行くこともできなかったチームが、県大会の常連となり、ついには東北大会に出場できるまでになったんです。私とすればそれで十分だったし、それ以上できることはないと考えていました。その後中学のコーチになりましたけど、そこで指導者を引退しようと考えていたんです」

だから再び野辺地SSSを見てほしいと言われた時、ためらいの気持ちがなかったわけではない。しかし、その少年のプレーを見た瞬間、橋本さんは衝撃を受けた。
「私はそれまで小学校、中学校のチームを10年近く見てきましたし、そのなかで選抜チームに入れるような選手もいました。でも、あの子のプレーはレベルがまるで違った。ボールタッチの柔らかさ、視野の広さ、キックの精度。どれをとっても小学校3年生のレベルではなかった。この子はいったい、どれだけの選手になるのか」

小学校3年生の天才少年――柴崎岳選手を見た時、橋本さんは指導者としての情熱が、再び身体中にみなぎってきていることを感じていた。

もっとも橋本さんは柴崎選手に、特別な指導をしたわけではない。そもそも橋本さんの指導方針は、トラップ、パスという基本技術を徹底させることがメインだった。しかし、柴崎選手はすでに小学校3年にして、そうしたスキルを高いレベルで身に付けていたからだ。

もうひとつ橋本さんが意識していた指導は、体力面の向上だった。
「あまり走り込みは必要ないという指導者もいますが、上のレベルに行くためには、スタミナがないと勝てないんです。ひとつでも上に勝ち上がることで自信もつくし、サッカーがもっと面白くなる。だから、基本技術ももちろん大事ですが、スタミナをつけさせるために、走り込みもだいぶやらせましたね」

雨でグラウンドが使えない日は、走り込みの練習がメインとなる。学校の裏にある公園の坂道でインターバル走やダッシュを何本も課した。そうした練習でも柴崎選手は常にトップ集団を走っていた。
「技術だけでなく、スピードもあったし、体力もあった」という柴崎選手は、3年生にして6年生のチームに交じってプレーすることも珍しくなかった。

同学年のチームで練習すると、レベルの違いは明白だった。例えば1対1の練習をしても、余裕を持って勝ってしまう。これでは練習にならないと考えた橋本さんは、ある時、自身で柴崎選手の相手を務めたのだが、その時に、再び衝撃を味わった。
「私も一応、県の高校選抜に選ばれるような選手だったので、そこそこサッカーはできるんです。岳がいくら上手いといっても、3年生ですからね。身体の大きさも違いますし、負けるはずがないんです。当然、私が勝つんですが、そうしたら岳は悔しがって泣くんですよ。その時は驚きましたね。本気で大人に勝とうとする子どもを、私は初めて見ましたよ」

技術の高さ以上に、橋本さんは柴崎選手が成長できた理由を、この負けず嫌いのメンタリティにあると考えている。
「試合で負けたらだいたい泣いていましたね。4年生の時の県大会では準決勝で負けて号泣し、5年生の新人戦の決勝でも同じ相手に負けて泣いていました。6年生の時には、全日本少年サッカー大会の県予選の決勝までいったんですが、この時は弘前の選抜チームに負けて、やっぱり泣いていました。ただ、こうやって負けを繰り返すなかで、岳は成長していったんです」

その成果は、その後に行われた大会で、見事に証明されることになる。

≫後編に続く

※「じょっぱり」とは青森県で頑固者、意地っ張りの意味。
※「ブルーペナント(日本代表・育成指導者表彰)制度」・・・日本サッカー協会では、全国で若い選手たちのために情熱を傾けている多くの指導者の皆さんへのやりがい、モチベーションにつなげることを目的として、日本代表に初選出された選手から育成年代で指導に携わった指導者にブルーペナントと感謝状を送っています。

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